自己有用感とメタ認知

この10年、一番の関心事は「教育」であると思う。

長男が10歳なので、やはり親になって目線が変わったということだろう。

 

子供が赤ん坊の頃は、この子が大人になるまでに、良い世の中を作るには何ができるだろうか・・・と考えていた。この思いは今でもあるのだけど、子供の成長と共に、漠然とした不安ではなくリアルなものとして、見たり考えることが増えてきた。

 

アメリカで暮らした時に知った日本の義務教育との違いや、大学キャリアセンターで働いた時に知った若者たちに与える「環境」の大きさ、子供の通う小学校を通じて体感した様々な想い・・・ 

「教育」に対する悲観や理想は膨らむばかりで、立ちすくむ。

 

一保護者としてであるなら、立ちすくむのもありかもしれない。

でも、自分はキャリアンコンサルタントでもあるのだ。

 

高校生のインターンシップに関わるお仕事に就けるチャンスが今目の前にあって、

この先のことを考えている。

 

なぜそれをやりたいのか。

混沌としたままではだめだ。

 

いろいろ考えた結果、自分のやりたいことは日本の小中高生の

 

①自己有用感を高めること

メタ認知能力を高めること

 

①と②はセットで、相関関係があると考えている。

 

日本人は自己肯定感、自尊感情が低いと言われていて、そのことが幸福感の低下や生き辛さと大きく関わっていると思うけれど、自己肯定感を高めるのって一朝一夕ではいかないんじゃないか。

根底に成育歴が横たわっていて、本人とは関係のないところで足を引っ張ってしまうのだと思う。どんなに本人が頑張っても、どうにも埋められないものってあるのかもしれないなぁって、悲観主義者の私は思ってしまう。

 

でも、「自己有用感」なら、短期的に高められるんじゃないか?

自分は誰かの役に立つことができる、と知ることが自己肯定感や自尊感情を高めることにつながっていくのでは・・・と期待もある。

 

誰かの役に立つ、貢献するという視点を獲得するには、社会や他者に目を向けることが最速だと思う。キャリア教育的には、

「自分を取り巻く様々な場所で、様々な人が、働いてくれていて自分を支えてくれている」

その事実に目を向けること。そこに感謝の気持ちが芽生えるともっと良い。

 

次に、自分を支えてくれているのは大人だけだろうか? 友達や隣の席の子に支えられたことはないだろうか? と考えて、お互いにフィードバックしあう。単純に、すごい!とか好きだ!と思うところを伝え合うのも良い。


・掃除を一所懸命していてエライ

・消しゴムを貸してくれて助かる

・兄弟たちの面倒を見ていて立派

・授業を脱線させて笑わせてくれる

・ボーっとしてるところが見ていて癒される

 

どんな些細なことでも、案外言われるとうれしい。自分としては何でもないようなことや恥ずかしいことでも、人の役に立ったり、喜んでもらえたり、すごいと思ってもらえることをことを知る。

 

じゃあ、そんな自分をどう使ったら(⇒どんな働き方・仕事をしたら)役に立つことができるかな?って考えてみるのも良いし、お互いに教えあうのも面白いと思う。

 

自分のことが好きじゃなくたって、自分のことをダメな奴だと思っていたって、できることのひとつやふたつはあるし、誰かの役に立つことがひとつふたつはある。

そんな風に過ごすうちに、はじめは「誰か」が評価基準だったとしても、自分で自分を認めてやれることが増えていくんじゃないかなぁ。

 

これら一連の流れを考えると、自己肯定感だけでなく、メタ認知能力向上につながる。

 

本当に過酷な環境で育った子供たちの中には『ケーキの切れない非行少年たち』にあるように認知能力が欠如していて、物事の見え方、考え方が大きく「普通」とはズレているケースも多いそうだ。

脳の機能的な問題もあるだろうから一概には言えないけれど、小学生の頃からそうした自己有用感を高められる環境があれば、認知能力も向上して非行少年を減らせるのかもしれないなぁ・・・なんて、妄想だろうか。

 

自分は論理性に大いに課題があるので、この文章も論理が破綻しているかもしれないけれど、私の頭の中では・・・つながっている。

 

つまり。私が高校におけるキャリア教育でやりたいことは。

 

社会に目を向け、社会の中で生きる自分がどう役立ちたいか。どう在りたいか。

 

を考える場を提供したいということ。

 

【心の扉のノブは、内側にしかついていない】という言葉をどこかで見た。

自分には何もできない、と自分の殻に閉じこもって悩んでいる人がいたとしたら、ドアを開いてみたくなるような関りをすることだ。

 

そのための知識や知恵を、ひとつひとつ身に着けていきたい。