麒麟が来る
毎週楽しみにしていた「麒麟が来る」が終わってしまいました。
光秀は愛情深い母と、おそらく人格的に優れた父がいて、叔父や従姉妹、近所の人々など温かな人間関係の中で大人になったのだろうなぁと思います。
光秀の家臣、伝吾や左馬之介との関係性を見ていても、そういった健全さが感じられます。
でも、信長はそうではなかった。
秀吉も、家康も、旧友高政も、そうではなかったのですよね。「温かな人間関係で育つ」ということがいかに得難い経験なのか、と考えさせられました。
温かな人間関係で育つということと社会的成功が結びつくわけではなく、ましてや人間性に直結するということでもありません。
そうは言っても、こればかりは己の力ではどうしようもない、天から与えられる運みたいな部分が大きいので、本当に貴重な、奇跡みたいなものなのだなぁと思うわけです。
天からそのような恵みを受けた人がなすべきことは何か。
動機にトラウマ的なものが入り込まないからこそ湧き起こる、高い純粋性に基づいた美しい志を掲げ、突き進むことではないか・・・・・ そんなふうに考えた麒麟が来る、でした。