麒麟が来る 

毎週楽しみにしていた「麒麟が来る」が終わってしまいました。

 

光秀は愛情深い母と、おそらく人格的に優れた父がいて、叔父や従姉妹、近所の人々など温かな人間関係の中で大人になったのだろうなぁと思います。

光秀の家臣、伝吾や左馬之介との関係性を見ていても、そういった健全さが感じられます。

 

でも、信長はそうではなかった。

秀吉も、家康も、旧友高政も、そうではなかったのですよね。「温かな人間関係で育つ」ということがいかに得難い経験なのか、と考えさせられました。

 

温かな人間関係で育つということと社会的成功が結びつくわけではなく、ましてや人間性に直結するということでもありません。

そうは言っても、こればかりは己の力ではどうしようもない、天から与えられる運みたいな部分が大きいので、本当に貴重な、奇跡みたいなものなのだなぁと思うわけです。

 

天からそのような恵みを受けた人がなすべきことは何か。

 

動機にトラウマ的なものが入り込まないからこそ湧き起こる、高い純粋性に基づいた美しい志を掲げ、突き進むことではないか・・・・・  そんなふうに考えた麒麟が来る、でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしてもやる気が起きない

やる気が起きない時は、本当にやる気が起きなくて、そんな時は散歩をするなどが良いと頭ではわかっていますが、それすらしたくないという・・・

 

昔から追い詰められないと頑張れないタイプだったし、元来怠け者なのだと認めるしかありません。

 

多分そんな怠け者の自分に気がついていて、「就業する」とか「役割を意識する」とかして、自分がするべきことに真面目に取り組むよう追い立てて過ごしてきたように思います。

 

この半年余り、ポッカリそんな自分を放棄して、のんびりダラダラ過ごしているうちに、一層エンジンがかかりにくくなってしまいました。

 

まずい。これはまずい。

真面目にコツコツという自分に足りない要素を身につけていきたいのに、それも危うい。

 

私には小4の息子がおりますが、血がつながっていると思えないほど、そういった点で素晴らしい素質を持っています。

人は一人一人違う。努力で変えていくこともできるけれど、生まれ持ったものは違う。

そう思います。

 

自分の本来持って生まれた良いところってどんなところだろう・・・

40代に入り、無邪気な子供時代も思い出せず、若い頃の血走っていた自分はどこか遠い人物のように感じたりもしますし、ひょっとしてここ数年のどこかで中身が入れ替わってしまったのかもしれないと思います。(元々の入れ物・・・体は別のところにあるのかも)

 

 

 

早くも立春の誓いを破る

立春の晩に夫と長丁場の喧嘩をし、昨日はすっかり寝不足で朝を迎えてしまった。

 

何もすることができず、だらだらだらだらと過ごし、お菓子などをドカ食い。

 

夕方子供達が帰ってきてから少し元気になったので部屋の掃除をしました。

 

でも夕食を作る元気はなく、近所にできた丸亀製麺へ行きました。

カモネギうどん・・・鴨肉が好きなのです。

 

最も好きなお肉は、馬。次に鴨です。

鴨肉は週一くらいで食べたい。馬刺しなら毎日でも飽きないなぁ。

 

夫にはスーパーで買ってきたお弁当をテーブルに乗せて、子供たちと21時に就寝しました。

 

 

睡眠大事!!!!!!!!

 

9時間以上爆睡し、すっかり元気になったので夫にも心なしか穏やかに接することができました。

 

そんなわけで、毎晩子供たちと21時には寝るようにしようと思います。

 

誓いを破った翌日の今日は、もう一度心機一転(多分、一年で100回くらいやり直すんだと思う)やり直しです。 

 

 

 

 

 

立春の誓い

本日、23時59分に立春を迎えるとのことで、私の中ではまだ2020年が続いています。

 

今日はこれから恵方参りへ行って、2020年のお礼参りをしようと思います。

2020年はまぁ、本当に大変だった。

おそらく世界中の人々にとって大変な年であったので、そういう意味では変な孤独感とかはありませんが。でもだからこそ問題な気がする。物理的な目に見える事象はもちろん「集団意識」として。

きっと、そんな中でも前を向いて進んでいこうという人が世を引っ張っていくのだから、具体的に何もできなくても、気持ちだけでも自分もそうありたいと思います。

 

大きな夢を描くよりも、今できること、今日できること、明日できることを見つめていたい。そして、今あるものを大切にしながら、一つ一つ手入れしてバージョンアップしていきたい。

そんな誓いを立てる立春です。

 

今朝は、朝のラーメンという誘惑に負けることなく、昨夜食べなかった生姜焼きのお肉を焼いて、わさび菜と一緒に食べました。これだけでも進歩です!

 

やっぱり、美味しい野菜というのは、シンプルに太陽の力を受けているなぁと思うし、美味しい野菜をシンプルに美味しく食べるには、ジャンクフードは合わないなと。

お菓子やラーメンを爆食いしてしまうのは、体ではなく心が人間らしさから逃げたくなっている(現実逃避のような・・・)からなのかも。

 

人として真っ当に生きていくには、今の世はやっぱり色々おかしいし、人間らしさを手放して機械みたいに生きる方がずっと楽なんだろうなぁと思う。世間やテレビの情報を鵜呑みにして、自分の頭で考えることなく。。。

 

だからジャンクフードを欲するのか!!!!!

 

でもいよいよ、体に悪いものを食べると、その後体がしんどくなるという歳になってまいりました。もう、毎日生まれ変われた若い頃の自分はいません。(少なくとも体は、ね)

 

 

今年で40を迎える夫が最近とても元気がなく、生気がなく、悲しいです。

私にできることは、きちんと体に良いご飯を作って、家をそこそこ綺麗にして、子供たちが元気に過ごせるようサポートして、それなりに自分も機嫌よく暮らすこと・・・くらいでしょうか。

 

夫は、多分自分の異変に気がついていないし(もともと鈍感な人で、それが彼の強さでもあると思う)何を聞いても、ましてや何かを責めても、何も生み出さないから。

反応がないことに対し、不安や不満に感じるのは私自身の課題であって夫には関係のないこと。

 

子を信じるように、夫のことも信じて、しばらく見守ろうと思います。

(笑顔で見守れるほど寛容ではないし、愛も溢れていないので、そぉっーっとしておこうと思います)

 

信じる、ということはとても強くてあったかいものだから。

 

 

腎臓も肝臓も悪くなかった

腹部エコー、受けてきました。

 

どこも悪くないですね。とのことでほっと一安心。

その反動でまたもや食べまくってしまいました。(昨夜から絶食だったので)

とり天、お刺身、白米、カップラーメン、アイスクリーム、チョコレート、炭酸飲料・・・

 

このままだと、いずれ内臓を悪くするよなぁ。

 

明日は立春。明日から2021年です。

 

明日から、やめよう、こんな生活。

 

ふみもと子供将棋教室

小学生の息子は将棋が好きなのですが、対戦相手が身近にいないので思いきって将棋教室の見学へ行くことに。

 

ふみもと子供将棋教室・・・ 藤井聡太王位が5歳から通っていたお教室。おそらく、全国の将棋ファンの子供達から羨望の眼差しを受けているであろう?お教室です。

 

部屋に入ってまず驚いたのは、小学校高学年を中心とした男の子たち十数名の真剣なオーラ。

幼児らしき子もいますが、誰もお喋りなんかしていません。

そしてめちゃめちゃ礼儀正しい。

 

我が子は先生ではなく、同じ年頃の生徒さんに教わりました。駒の消毒や作法など・・・。

 

私は2時間ぼーーーーーーーっと見ていただけなのですが、とにかく場の「気」が強すぎて、ヘトヘトになりました。

 

生徒さんたちは平日にも関わらず、結構遠方からも来ているようで、きっと教室のある日は学校まで親が車で迎えに行き、速攻やってくるのだろうなぁと思いました。

 

偏見丸出しで恥ずかしいですが、生徒さんたちが物凄く賢そうなお子さんばかりで(集中力や目や耳からの情報収集力、情報処理速度が速そうに見えた)、学校の勉強よりもずっとずっと鍛えられるのかも知れません。

 

2時間ほどは、分厚い専門書などを使いながら将棋の自主学習?のような時間でありました。

ラスト1時間は対局。(級が近い子同士でペアになっていました)

我が子は3学年下の子に完敗。

 

残念ながら、生徒さんになる気概はなさそうです。

 

 

 

 

0(ciper)から綴る 熱さを取り戻すプロセス

ずっと気になっていた、はてなブログを始めてみることにしました。

はてなブログは画面がスッキリしていて読みやすい点が良いと思う。

 

明日は百数十年ぶりの2月2日の節分らしい。

その貴重な日に、エコーの検査に行きます。

胆石かな?と気がかりだったのでCTを撮ってもらったら、胆石ではなく腎臓に影があると・・・  内科の先生は「多分なんともないと思うんですけど〜」と仰っていたけれど、一応心配。

 

私のこだわり(こだわりと呼べるのか?)のひとつとして「死を怖れずに生きる」があります。

人間はいずれ死ぬのだから、いつ死んでも良いように生きたい、と。

 

鬼滅の刃で煉獄さんがとてもかっこよく生きることと死ぬことを語っていて、あんな風に真っ直ぐ堂々とした生き様に憧れます。でも実際、生温い現実の中で40年以上も過ごしており・・・遠い。煉獄さんのような、人生と思いと言葉が一致するような日は、目眩がするほど遠くにしか存在しない気がします。

 

10年前まで、私の生きている証は「仕事」だったのですが、退職時にいただいた寄せ書きの中に忘れられない一言があります。

 

 あなたの熱さは、家庭では生かしにくいものかも知れませんが、温かみに変えてくださいね

 

この言葉の意味を、この10年何度も何度も問いかけてきたように思います。

尖って尖って母親業に必死な時期を乗り越えて、だんだん丸く、柔和になり、今ではほとんど「人の良さそうなおばさん」。

 

二人のこどもが小学生になり、自分や学校、友人達との世界を楽しむ程度の自立性が身についた今、もう一度、私個人の熱さを取り戻したい考えています。

 

そんな熱さを取り戻していく過程を、0(ciper)から、綴ります。